そう言えば、前に小泉今日子が「バラエティ番組はくだらない」と言ったとかで、立川志らくというバラエティ界隈の人が怒っていたなあ。
立川「はっきり物事を言うその姿はかっこいい。でもね、『くだらないから出演しない』は看過出来ない。そのくだらない世界に命をかけている人も沢山いる」
まあ、小泉今日子が実際に語ったのは、「(自分が出演していた頃と)同じだからマズいんじゃないですかね。世の中がガラッと変わっているのに、昔のムードのまま押し通そうとしている。テレビ局は変わらないとマズいよね、と思っています」であったようだ。
バラエティ嫌いの私からすれば、「よく言った。キスしてあげるからこちらに来なさい」と言いたいくらいだ。
そもそもくだらないことに命をかけていたとしても、それはその人の勝手である。「命をかけている」というのは自己満足にすぎない。「命をかけているんだから『くだらないとは怪しからん』というのは成立しないのだ。
命をかけて作った映画でも、とてつもなくくだらない場合は普通にあり得るのだ。ましてやバラエティ番組など、そもそも命をかけて作っている人などごく少数なのではないか。
で、そのくだらないバラエティ番組に出ていた松本人志なんだが、なんか裁判沙汰になっているようだ。テレビにも出演していないらしい。私は馬鹿を自認しているが、もちろんバラエティ番組を見るほどの馬鹿ではないから、松本人志が出る番組もほとんど見たことはない。
だから、ホントはどうでもいいのだが、面白いと思ったのは、松本人志が出なくても視聴率が変わっていない(らしい)と言うことである。
これはどういうことかというと、結局バラエティ番組を見ている人は、バラエティ番組自体が好きなんであって、松本人志が出ようが出まいが関係ないんだろう。アメリカ人が馬鹿丸出しの映画やドラマを見て喜んでいるように、日本人にも同様の人たちがいると言うことなのだ。
バラエティ番組を見たり、文春や新潮などのゲスな週刊誌を読んだりする人がいなくなれば、日本は、もうちょっと住みやすくなるんだがなあ、などと考えているのである。